特定非営利活動法人KPSZホッとライン

KPSZホッとライン設立の物語

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はじまりは重度しょうがいしゃの
夫婦の行動と
ふたりに共感した
ボランティアたち

1982年、重度しょうがいしゃの青木孝夫・優子夫妻は自由のない施設を飛び出し自立生活を始めました。
当時の介護制度は今のようにはなく、ボランティアを自ら集めなくてはなりませんでした。様々な苦労はあったものの、ボランティアたちに支えられ「自分たちらしさ」を模索・挑戦しながら自立生活をふたりは送っていました。
しかし、制度改正によって状況は一変します。支援してくれていたボランティアが何らかの資格を持ち、事業所に所属しなければ支援することができなくなります。ふたりは事業所を立ち上げることを決意、ボランティアや支援者たちもふたりに共感し支援しました。そして基準該当事業所の立上げを経て最終的にNPO法人の設立を目指します。理事長を青木孝夫として申請し、準備を進めている中、青木孝夫は亡くなります。その遺志を受け継ぎ、青木優子を理事長として2007年2月14日に特定非営利活動法人KPSZ ホッとラインは誕生しました。
リーダーとして「ともに生きる」社会を目指し、みんなを率いた青木優子はホッとラインの理事長として最期まで生き抜きました。
これは以前の求人サイトで青木優子が語ったお話です。

一人で日常生活を送れない
重度しょうがいしゃの私が
なぜ、NPO法人を
立ち上げざるをえなかったのか?

私の名前は青木優子。

昭和24年6月22日生まれで、東京築地出身です。

NPO法人「KPSZホッとライン」の理事長をやらせていただいています。

普通の人と同じように仕事をし、普通に生活しているのですが、私には普通の人と違ったところがあります。

私は24時間365日、誰かに生活のお手伝をしてもらわないと生きていくことができないのです。

なぜなら、私は生まれつき「脳性小児マヒ一種一級」というしょうがいを持つ重度しょうがいしゃだからです。
頭はプレーンなのですが、手足を動かすことができず、言語の発話にもしょうがいがあって、うまく話すことができません。
ですから、誰かの手助けがなければ、私はトイレにも行けず、満足に食事もできません。
私にできることは、自分のやりたいことを誰かに伝えて、やってもらうことだけです。
ヘルパーさんが在宅介護で私の生活を色々と手伝ってくれるからこそ、家で普通に暮らすことができています。

1982年に施設を出る決意をし、
それ以来、
国分寺で暮らしています

私は以前、閉ざされた施設で生活していました。
施設での生活というのは、常に同じ人と同じ場所で同じような生活を送ります。
決まった時間に起きて、決まった時間にご飯を食べて、決まった時間に散歩して、決まった時間にお風呂に入って、決まった時間に寝るといったワンパターンの生き方です。
まったく人間らしい生き方とは言えません。
私はとても重いしょうがいを持っていて、一人では生きていけませんが、ものごころついたころから常にこのような考えを抱いていました。

・一度きりの人生、楽しく有意義に生きたい
・どこからも束縛されず、自分の考えで普通に暮らしたい!
・勉強がしたい
・仕事がしたい
・結婚したい
・外に出て街を歩いて買い物をしたい!
・電車に乗って遠出をしたい!
・たくさんの人に出会いたい!
・普通の人と同じようなことを考え、普通の人と同じことをやってみたい!

ずっと、このように思ってきました。

1982年、あることがきっかけとなり、ついに我慢しきれず、私は施設を飛び出します。

最初はボランティアの人たちに
支えてもらい、
その後、行政からのわずかな
ヘルパー派遣
もありましたが、
まだまだ人が足りませんでした。

私は、24時間365日介護してもらわないと、生きていくことができません。
でも、その頃の国分寺市は、重度しょうがいしゃが一人で自立生活を行うこと自体が夢物語…
重度しょうがいしゃは「施設で生活する」という考えが根強く、
必要最小限にも満たない介護しか保証してくれませんでした。
行政がヘルパーの派遣をしてくれたとしても、1日3〜4時間しか介護してくれない状態。
これでは、私は、生きていけません。
ですから、残りの時間を誰かに手伝ってもらえるように、さらにボランティアを募集しました。
駅前でチラシを配るなどをして、なんとかボランティアを集め、24時間介護を実現できるようになりました。
でも、ボランティアを集め続けるのは、かなり大変。
行政からのヘルパー派遣だけでも成り立つように、国分寺市に対して、運動を行い続けました。
その甲斐もあって、徐々に市からのヘルパー派遣の時間はわずかながら増えていきました。

ところが、2003年度の
障害者福祉制度の変更で、
市はしょうがいしゃへの
ヘルパー派遣を
やらなくなってしまった
のです

しょうがいしゃ介護は民間で行うことになり、自分で好きな事業所を選んで介護してもらう方針に変わってしまったのです。
つまり、行政は自分たちがやるべき仕事を投げ捨てたということ。
この制度改正により、今まで私を支えてくれたボランティアの人たちは資格がないため、もう手伝ってもらえなくなります。
資格とかなくてもボランティアの人たちによって、私は気持ちよく生活できていたのに…「何とかこれからも、ボランティアの人たちと、一緒に生活していきたい!」と強くそう思うようになりました。
そのための解決策は、自分たちの事業所を立ち上げるしか道はなかったんです。それからは、ボランティアの人たちに協力を呼びかけ、事業立ち上げに向けて準備をはじめていきました。

事業の立ち上げは
何も知らなかったから出来たこと

最初はそこまで大変じゃないだろうと思っていたのですが、蓋を開けてみたら、ものすごく大変でした。
都庁にみんなで足を運んで手続きをしようとしたのですが、やり方が複雑でかなりのボリューム。
定款を準備するのなんて、ものすごく大変でした。
さらに、事業所立ち上げには理事が数名必要と言われ…
今まで関わってくれたボランティアの人たちに声かけていったり、今までお世話になった方や大学の先生に自らパソコンを通して呼びかけるなどをして、一人一人集めていきました。
とにかく無我夢中でした。
何も知らなかったから出来たことだと思います。
今まで続けてこれたこと自体が嘘みたいに感じます。

どうして
しょうがいしゃが普通に暮らせる
世の中になっていないのか?

しょうがいしゃが世間から受けている
たくさんの偏見や差別について

しょうがいしゃが世間から受けている
たくさんの偏見や差別について

私はただ、普通の人と同じように暮らしたいだけでした。
それなのに、なぜこんなに苦労しなければならないのか?
それは、社会がしょうがいしゃを受け入れる体制になっていないからだと私は感じています。
今まで私は、しょうがいしゃというだけで、世間から偏見や差別をたくさん受けてきました。
例えば、

  • バスに乗る時には、車椅子なのでスロープをかけるのに、時間がかかってしまいます。そのため、急いでいる人から「乗ってくるんじゃねーよ」と言われたり…
  • 駅を利用する際には、「ここの駅は階段なので、一駅先まで歩いたらいいんじゃないですか?」と言われたり…
  • 公衆浴場に車椅子で入るのは、「衛生上よくないので入らないでください」と言われたり…
  • 飲食店では「しょうがいしゃは15時からです」と言われたりします。
このように、悔しい思いをすることばかり…今まで何度涙を流したか、
わかりません。

私たちの理念について

私はこんな悔しい思いをしなければならない状態を作っている社会を、少しでも変えていきたい!
全ての人間が、存在だけで価値があるという考え方は、当たり前になっていません。
しょうがいしゃと健常者がはっきり区別されている社会だからこそ、
偏見や差別が生まれる要因になっていることは間違いありません。
私たちの理念は、しょうがいしゃが地域で「みんなと一緒に当たり前に暮らしていける社会」です。
スタッフさんは全員この理念に共感し、理想的な社会を目指して働いてくださっています。
もし、あなたも私たちの理念に共感していただけるのであれば、どうかお手伝い願えませんか?
一緒にしょうがいしゃも健常者も気持ちよく生活できる社会に変えていきましょう!

しょうがいはあなたがいればなくなる!?
一度きりの人生だから
どんな人も
あきらめて欲しくない!
仲間あなたがいれば何でも出来る
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